2020年は、歴史の残るほどの大変な年でした。
日本は、3月頃でしたか、突然、コロナ・ウイルスが上陸し日本本土を攻撃!
見えないエイリアン?からの攻撃は、防御するのがやっとです。
日本以外の西洋社会は、甚大な被害を受けました。
しかし、西洋社会は、徴兵制もありますし、また、実際に戦地も経験している若者もいますから、日本と違いました。
まるで突撃前の狂乱のような大騒ぎです。
これは、ベトナム戦争の頃の沖縄です。
戦地に向かう若者たち、二度と帰らぬ若者たちが、一夜のロック・ミュージックに狂乱し踊りまくります。1970年前。
ベトナム戦争は、1955年11月 – 1975年4月30日で終わります。
ああ、似ているなあ、と。
そうした経験もあってか、コロナ攻撃の直撃にあったりしても、死を覚悟する決断が日本人とは違うんじゃないか、と思ったものです。
死が迫ると、即座に覚悟を決めて、狂乱する民族じゃないか?、と思われるほど、西洋社会は、過激な反応でした。
そのためか、大変多くの犠牲者を出しました。
そんな世界情勢の中、何とか、無事、今日という日を迎えました。
この戦(いくさ)は、いつ終えるのかわかりません。
しかし、命短し、恋せよ乙女!のスピリッツは、日本人の心にもあるでしょう。
人は、死を意識したら、他人には、優しくなれる、といいます。
ああ、自分は、もうすぐ死ぬんだな、と思ったら、せめて最後は、惜しまれて死にたい、と思うのでしょうか。
人はみな、コロナでなくても、いつ死ぬかわかりません。
一休禅師が、祝いの席で、「何かめでたいお言葉を書いて下さい」と言われ「親死に、子死に、孫が死に」と書いたエピソードは有名です。
これを見た人たちが、騒然とする中、一休禅師は、「この言葉を逆にしたら、人間にとってこれ以上の不幸はないでしょう。だから、この順序で人が亡くなることを示したこの言葉は、一番のめでたい言葉なのです」と応えたといいます。
確かに、この逆が起こったら、ぞっとします。
最後に親が亡くなるわけですから。
個人的な願望は、今年は、嫌な人に会いたくないなあ、という事です。
自分は、いつまでも生きている人間である、という無知さ、傲慢さから、他人をぞんざいに扱い、他人に対して嫌な思いを与える人たちですね。
そんな人たちは、実際は、たくさんいますけど、まあ、自分自身が、なるべく、そうならないようにしたいなあ、とは思います。
難しいですけどね。
突然、不治の病に侵されたりすると、人は、わがままになったりして、近親者に当たる、とか聞いたりしますから、、、。
そうなったら、許して欲しいですけど、、。
こうした事から、元気に生きる、という事は、死を意識しない、という事ではないなあ、と学ぶわけです。
どうぞ、皆さんも、傲慢で、人を傷つけることばかり言う、先輩、上司、同僚、後輩バンドマンがいましたら、「あなたは、自分だけは、死なないと思っているのですか?」と聞いてみたらいいです。
自分は、死なないと思っているから、赤信号でも平気で突っ走る暴走族のようなものになっているのでしょうか。
人に優しくない、という点では、同じですよね
コロナをポジティブに考える、という事は、「私は、かからない!」という気合い?ではなく、「人はいつか突然、死ぬんだなあ」と、こういう事かなあ、と思います。
人は、コロナで突然亡くなる人もいますし、突然の病気や天変地異で亡くなる人もいます。
そこから学ぶことは、いつでも、死を意識した、そんな覚悟で、物事や他人に関わることかなあ、と今年も新年にあたって、強く、そう感じるわけです。
そんな思いを込めた、9冊目で、初のギターテキスト「友寄隆哉のギターメソッド」が、今年、4月に出る予定です。
私も、これまでの8冊の書籍や教本は、毎回、「これが最後だ!」という気持ちで執筆して来ました。
しかし、今年も、まだ、生きる事ができたので、9冊目が実現できたわけです。
本年もよろしくお願いいたします。
2021年元旦 友寄隆哉