昔より今の若者はリズム感がいいの?
さて、今さら、昔の日本人のリズム感の問題をこのSNSの時代の若者にまで持ち出す事もないだろう?と言う年代の方もいるかと思います。
それは、おそらく、その時代時代の老人?からすると「若者はリズム感がよい!」と言う思い込みがあるからだと思われますが、実際は、昔も今も変わりません。
ダンスは、テンポは合っていてもリズムに乗っていません。それは、多くの日本人タップダンサ-の打ち出す「リズム」のどこがバックの音楽との接点なのだろう?と音楽を生業とする私でも判断する事が不可能と思える場面に昔からよく出くわしました。
「タップダンス」とは、そんなものなのだろう、と考えていたら、昔、テレビで「サミ-デイビスJr.来日公演」(1976)を見て腰を抜かしました。
「何と、リズムに乗っていて気持ちよいのだろう、これが本物のタップだったのか!」と、改めてこの問題の深さに驚いたものです。今から44年近くも前の事でした。(2020年現在)
現在の若者は、このリズム感を克服したのでしょうか?
それは”ありえません”
なぜなら、私の考察では、リズム感はその国の「言語」と密接なつながりを持つからです。
現代のアイドルのシンガーたちの「英語の発音」は、昔の人たちと比べものにならないくらいよくなっているのでしょうか?
語学の専門家なら、即座にこの日本人のリズム感の問題は、日本人の「語学教育」の歴史と同様に「永遠の課題」である事に気づかれる事でしょう。
これも、徹底してトレーニングを積んだ者しか克服しない問題の一つです。
このように、「最近の若者はリズム感がよい」という問題は「最近の若者は英語の発音がよい」と言う問題に置き換えれば音楽を生業としていない者にもわかりやすい例えとなります。
みんな、リズムをどう理解しているの?
では、音楽をする若者は、最近はどうしているのでしょうか?
結論を先に言えば、近年は、音楽リズムの大半が「機械」にまかせているため、どんなにリズム感の悪い者でもプロとしてアレンジャー、作曲家にもなれるという事です。
漢字を知らなくてもワープロ、パソコンの漢字変換で、誰でも文章が書けますし、掛け算九九を知らなくても計算機があれば、誰でも計算できることと同じです。
これが音楽の世界でも可能になったのです。
近年の商業音楽の大半は、1980年代からド一般の人でもラムマシン、リズムマシンのような機械を利用し作られるようになったからです。
これは、デジタル時代の黎明(れいめい)期として、坂本龍一氏のYMO(ワイ・エム・オー)こと、日本のイエロー・マジック・オーケストラ (1978~1983,1993,2007)の世界的活躍があります。
私は、こうした機械が作り出すリズムを「時計のリズム」と呼んでいます。
近年では、この「時計のリズム」に合わせられない者は「リズムが悪い」と言っているのです。
英語で言う「タイム感」は、「リズム感」と日本では受け取られ、現在、これにぴったりに合わせる事ができる者のみが「リズム感」がよいと言われているのです。
私は、あまりにもこれは機械販売ビジネスに都合の良い非論理的な考え方なので聞き流してきました。
「機械のない時代の人々」は現在よりもリズム感が劣るのでしょうか?
例えば、ブラジルで行われて来た毎年恒例のリオのカーニバルで、歩きながら音楽を演奏するミュージシャンたちがいますが、じゃあ彼らは皆、ミディ(MDI)コード(楽器同士をつなげて、同じタイミングで同期演奏するための電気コード)で奴隷(SLAVE(
のように、政府が決めた大きな「電子メトロノーム」につながれて一斉に同じテンポに従い演奏しているのでしょうか?
今の時代なら「本当はその方がよいリズムになる」と言っているのです。
(ちなみに「電子メトロノーム」より、もっと時間が正確なのは、現時点(2O2O年現在)「原子メトロノーム」になると思いますが、あるのでしょうか?あっても高いでしょうからよほど自己に厳しい人しか買わないでしょう)
現在、皆さんが聞いているヒット音楽のCDのすべては、こうした「時計」にしたがい演奏されています。
なぜ、これほど「時計のリズム」が主流になって来たのでしょうか?
理由は主に二つ。
世界的な流れで、曲のテンポやリズムを機械で作成すれば、正確な演奏時間が算出できるからです。
テレビやラジオのコマーシャル・ソングでも、きっちりと15秒コマーシャル、30秒コマーシャルと納めないといけませんし、テレビ放送やコンサートの上映時間もきっちりと1曲、1曲、機械で作成すると時間がわかります。人間リズムでは、曲の終わりに誤差が生じます。
こうした事は、あらかじめ演奏時間が決まったCDの演奏を流すようなものです。3分20秒で終わる曲は、きっちり3分20秒の時間を空けておけば再生できます。
テンポがMM=60で始まった曲は、4拍子なら、1小節終わる時間が4秒ですから、あとは計算。10小節目終わる時間は、40秒後(4秒×10小節)。60秒後(60秒÷4秒)は、15小節目が終わります。
、音楽の世界でも、ビジネスの世界を中心として来たので、デジタル音源の発明とともに、きっちり時間通り”出勤(曲スタート)”して、”退勤(曲終了)”が守れる人が、”優秀”ということになるわけです。
これは、かつて、イギリスで始まった産業革命(1760~)のようなもので、ミュージシャンの生活や考え方まで二分し、左右してしまいました。大衆人気の商業音楽中心に活動するミュージシャンと、そうでないミュージシャンをまず分けてしまいました。そして、商業中心の音楽の世界では、デジタル化が必須になり、人間による演奏と機械による演奏の共存(同期演奏)が当然となりました。
こうした”産業革命?”の流れは、西洋リズムが苦手な日本人には、大変好都合な世界となりました。
世界のリズムが、一律の”機械リズム、デジタル・リズム”になったからです。
リズムって何、テンポとは違うの?、ノリって何?
日本での機械リズムが主流になる傾向を一言で言えば、「リズム音痴民族」だからです。身体の中に「リズム」と言うものがないからです。正確には”西洋リズム”ですね。
リズム音痴民族だからこそ、機械リズムに頼るしかないのですね。
さらには、”リズム”の意味がわからないからこそ、リズムを”テンポ”と混同してしまう人もたくさん出て来るわけです。
テンポが正確な人を「リズムがいい人」と誤解する人ばかりいるわけです。これは、プロのミュージシャンにもかなりいます。
また、リズムには、それを再現するための”ノリ(乗り)”というのもあります。
お化粧を「リズム」としたら、今日のお化粧の”ノリ”は悪い、となりますが、リズムもこうした世界です。
譜面にあるリズムは演奏しているけど、どうもその”ノリ”がおかしい、ということになります。
言語でいえば、地方、地方の言葉、つまり”方言”を文字にする事に似ています。これが楽譜の音符ですね。
「チャウ、チャウちゃうねん!」(「(犬の)チャウチャウとは違う!」大阪)などは有名です。これを言葉にすると関西圏外の人では、なかなか正しい発音ができません。これと全く同じ現象が音楽の世界で起きているわけです。
日本人独特の音楽の世界と西洋音楽の世界とのギャップですね。
これは、黒人音楽としてのブルース、ジャズ、ロック、ファンクなどに限らず、白人音楽のクラシック音楽も同様です。
世界的なコンテストで賞を取った某有名日本人アコーディオン奏者が披露したエピソードですが、十代の時、クラシック音楽を学びに本場のイタリアの音楽大学受験でバッハを弾いたそうです。
世界的な賞と取った後に受験当時の印象を現地の教授が「あの時の彼の演奏は、遠い異国の音楽に思えた」と述懐した、といいます。クラシック音楽の教授が、バッハを知らないわけはないのに、目の前で演奏されているバッハが、異国の音楽のように聞こえた、というわけです。
こうした話は、日本の某総理大臣が米国を訪問し英語でスピーチした際、傍聴していた米国人の一人が、「ああ、日本語は、英語に良く似ているなあ」という感想を述べたという話しも有名です。
このことから、日本の音楽と西洋音楽は、白人音楽、黒人音楽に限らず、異質なもの、という事がわかります。
日本の音楽もある種の”民族音楽”、エスニック(ethnic:人種的な)・ミュージックですから、日本人の持つリズム感は、西洋音楽に流れるリズムとは違うわけです。
テンポが一定な人を「リズムがいい!」と勘違いするわけですが、厳密には、一定のテンポは、究極には、前述した”原子メトロノーム”に一致しないと一定かどうかはわかりません。1分後まではよくても、2分、5分、10分と演奏が続いてもテンポが変わらない、という事は、人間にはありえません。
演奏している最中のノリや喜怒哀楽もありますから。
「自分は機械のように一定のテンポで弾ける”リズム感の良いベーシストだ”」と言う人がいれば、「それじゃあ、このテンポだと、1分53秒後には、この小節を演奏しているはずだから、自分は、待ち伏せして、1分53秒後に、この小節を弾くから!」という話しをします。
もしも、1分53秒後に、私が弾いた小節の音符の箇所をベーシストも演奏していなければ、このベーシストの論理では、「リズム音痴」という事になるはずですから、へんてこなリズム論をかざしたベーシストは、自業自得となるわけです。
実際、機械のリズムマシンと一緒に演奏しない限り、1分53秒後の”待ち伏せ”に一致することはありえません。
私がこういう話しをこの調子で述べていると、聞こえてくる声もあります。
リズムの良し悪しは、何と比較しているの?
リズムが悪いというのは、一体、何を基準に決めているの?という疑問も抱くとは思います。
それには「西洋音楽と比較して」と答えます。
もちろん、日本には、和太鼓もありますし、当然、日本には、日本のリズムがあります。
ところが私が言うリズムは、「え~さ、え~さ、ほいさっさ~、おサルのかご屋だほいさっさ~」という日本独特のリズムの事を言っているわけではありません。
私が言う”リズム”は、西洋音楽として生まれた、ロックやジャズ、ボサノバ、ブルースなどの根底に流れる共通の”リズム”の事を言っているわけです。あるいは、前述のような白人音楽としてのクラシック音楽も同様です。n
ブルースやジャズ、ロックの根底にあるのは、アフリカから奴隷としてアメリカ大陸に”連行”されて来た、アフリカ系アメリカ人、つまり”黒人音楽”に代表される”リズム”のことです。
かつては、この”リズム”が、世界の商業的音楽の主流になって来たわけです。
もちろん、これは、リズム感というより、ある種、「人種問題」です。
これは「何をもってスタンダード・イングリッシュとするのか?」と言う問題にも言えます。
ニューヨークの人の英語の発音が、世界の基準の英語なのか、はたまた、イギリス人の英語が基準か?
しかし、簡単に”イギリス英語”と言っても、イギリスという国は、基本的には、ENGLAND,SCOTLAND,WALES,という国や様々な諸島の複合体ですから、それぞれの国の”お国なまり”の英語の違いもあります。
日本でも、何をもって”正しい日本語”とするかは決定できません。
一都二府四十三県の”日本語”がありますが、どれも”日本語”です。
それなのに、一応、”共通語”、”標準語”とジャンル分けして捉えられているわけです。
現在の共通語は、東京語として、東京の山の手の言葉が母体だとされていますが、奈良時代には、大和地方の言葉、平安時代は、京都の言葉を母体としていた、とされています。
現代の標準語は、こうした共通語(東京語)を母体に人工的に作られた日本語ということになっています。簡単に言えば、NHKのアナウンサーのような、”どの都道府県出身かわからない”人の日本語ということになります。
こうした言語の世界からも、当然、「一体、何を基準にリズム(言葉)の良し悪しが決まるのか?」、という事になります。
その回答として、「それは、商業的にもより多く利用されているものが、標準となる」と言えるでしょう。
標準語も標準リズムも同じです。
共通リズムが”アフリカ系アメリカ人(黒人)”系という事になるわけです。
正しい?標準語の利用は、アナウンサー業ビジネスが勤まりますし、ごきげんな黒人リズムは、音楽ビジネスの成功をもたらし、巨額の富を得ることもできます。
巨額の富を得ない理論は、広まりません。
また、
そうした意味から、現代の”標準リズム”は、”機械リズム”と言えるかもしれませんが、ビートやリズムは、機械化されていてもその上に乗る歌や演奏は、まだまだ、人間が行う世界ですから、両者が共存している形になります。
エスニック・ミュージックと黒鍵の関係
音楽の世界では、いくら独自にやっても楽器は上手くなりません。
「何が西洋だ、今はアジアなんだよ、これからはアジアなんだよ!」と、なぜか経済界のターゲット先と同じ事を言ってきたらどうでしょう?
そうなると、当然、”リズム論”も変わって来ます。アジア的なリズム感取得がトレーニング・ビジネスになるでしょう。
ついでに言えば、「エスニック(ethnic:民族)・ミュージック」を簡単に作るには、E♭m(変ホ短調)のキーになります。
ピアノなどのキーボードの白鍵は、C,D,E,F,G,A,Bですが、その間の黒鍵は、D♭(C#), E ♭(D#),G♭(F#), A♭(G#) B♭(A#),ですから、並べ替えるとE♭mのペンタトニック(五音階)になります。
この五音階は、エスニック・ミュージックに代表される音階です。試しに黒鍵だけを弾いて見たらわかるでしょう。この音階には、日本の民謡や演歌、西洋のカントリーミュージックの雰囲気まで網羅している世界があります。
鍵盤楽器の白鍵は「白人専用」で、黒鍵は「黒人、アジア人専用」になっていますから黒鍵ばかりをいじっていると、勝手にE♭m(変ホ短調)のキ-になります。
よく、♭や♯の数が譜面に多い方が、高尚な曲?と思っている人がいますが、この場合、E♭mのキーは、譜面に♭が6コ(G♭キー)も揃ったからって「高尚な曲」にはなりません。偶然♭だらけのキーになったに過ぎません。
人間、自分にできそうな事しか「自慢」しないですから、エスニックな曲の作曲が好きな人間は、白鍵ではありふれた曲になったからかもしれません。
エスニックなメロディを人種的に区別しているのが、リズムの違いです。
リズム抜きでメロディだけを比較すれば、米国では、これがカントリーミュージックやブルースの母体になり、日本や韓国だと演歌の母体になったりしています。この違いを出すのもリズムの違いです。
西洋から見ると、自国、日本の音楽(各地方の民謡など)も「エスニック」ですから興味がある人は「日本音楽の再発見」團伊玖磨、小泉文夫著(講談社新書)くらいは読んでおくと参考になると思います。
日本人とばれないネイティブのリズム感(発音)の取得は可能か?
さて、ようやく本題に入ります。
中学2年次に、フォークグループを友人と二人で結成していた少年が、勝手に入った友人の部屋で、不在の友人の帰りを待ちながら何気なく見つけた音楽雑誌(主にフォーク)の記事を読み、あまりの衝撃にグループを解散し翌日からロックギタリストを目指し猛特訓を始めました。
学校も勝手に4時限目が終ると帰ってギターばかり弾いていました。(おい、おい、残りの授業はどうした!)すべてはこの記事(後述)から始まりました。そしてこれは日本人が西洋音楽を志した場合の「永遠の課題」であることを知りました。
簡単に例えれば、日本人と絶対にバレない本物の発音を外国語で身につける事は可能か?という問題と似ています。
原稿(譜面)があらかじめ用意されている場合は、NHKのアナウンサーのようになんとかする事はできます。
コミュニケーション学の見地からは、外国語の発音なんて通じればど~でもよいものですが、音楽業は当然として、俳優業の世界も言語は、”音声的”な世界です。
演歌のようなロックやジャズ、ブルースを自信を持って披露できるのは、国内限定です。ひとたび、国外に出れば、日本の役者も英語を喋らなくてはいけない役を演じなければいけませんが、その英語があまりに日本なまりなら、日本から来た役しかできません。米国生まれの日系アメリカ人の役は無理です。もちろん、常にそんな役で演技できればラッキーですが、、、。
しかし、まったくのアドリブの状態(フリートーク)で、どんなに酔っていても録音されたものからネイティブスピーカーが聞いても「これは、自分と同じ国の人間である」と判断されるだろうか?、となるとかなりハードルが高くなります。
この問題は、日本国内でも自分の生まれ故郷以外の役をしなければならない役者の世界にも例えられます。大抵は、その地方の者は「ちがうなー」と違和感を持ちながら見ることになります。
*青森出身の役者が大阪商人の役をする場合、とか、、、。
*オーストリア出身のアーノルドシュワルツネッガーが、本場イギリスのシェークスピア舞台劇にあこがれてしまった場合とか、、、。
*テレサ・テン(1953年1月29日-1995年5月8日、日本で大人気だった台湾出身の歌手)が「りんご追い分け」を唄った場合の中間の独り言を言い始めた瞬間に作り出すであろう無国籍風景の場合とか、、、。
実際の例としては、アコーディオンの世界一となって活躍している小林靖宏氏(COBA :1959~)がイタリアで18才の頃音大受験した際、その審査をした教授が「最初、バッハを弾いてるという事はわかったが私にはなぜか遠い異国の音楽に聞こえた」とテレビでコメントしていた事を覚えています。(前述の某有名アコーディオン奏者)
それから氏のクラシック音楽の猛特訓が始まったと言います。
(クラシック音楽のノリとビートを持ったロックやジャズといった音楽のノリは全くちがいます。クラシック音楽出身者が「時計リズム」で行くなら問題はありませんが、、。時計リズムは練習すれば誰でも修得できます。真面目な人向けです。)
古くは日本の人気技巧派デジタルリズム・フュージョングループがブラジルへ渡り、現地のナンバーワン・パーカッショニストを頼んだそうですが、とうとう最後までリズムが合わずにボツになった、とか。
また、あるブラジルのミュージシャンが日本のサンバ好き人気フュージョンギタリストの音楽を認めながらも「でも彼のはサンバじゃないよ、彼は4拍子でリズムを取っている。われわれは2拍子で取っているんだ。」とインタヴュ-で答えていました。
かつて、マンガ「巨人の星」(1966~1971)で飛雄馬(ひゅうま)は、父、星一徹(いってつ)が青雲高校の野球部の監督に就任する前日、飛雄馬を初めてデパートの屋上のレストランへ連れて行きます。
そして、父、一徹は「今日は父としての最後の日になる。これからは、父でもなく子でもない、監督と一選手としての関係になる!」と告げます。
それを聞いて、すねた飛雄馬は、泣きながら、レストランで「一番高いもの!」とステーキを注文しますが、ナイフとフォークがなかなか使えません。すると、ナイフとフォークを放りだし「箸はないのか!箸持ってこい!」と父一徹を困らせようとします。
私はこの感動的? 逸話から「オレは日本人だ!・箸もって来い・ミュージック!」というジャンルを独自に命名し、せっせとレコード棚を整理した覚えがあります。
日本にアメリカ文化が定着しつつある時代の話しです。日本本土に先駆け、沖縄が75年も前(敗戦1945年~2020年現在)に経験したことです。
さて先人達がいかにこの「西洋リズム」という問題に取り組んで来たか?楽しい読み物として読んで見て下さい。
以下はその原文のまま全文掲載 1972年の音楽雑誌「ガッツ」12月号P129~131に掲載された記事です。約30年も前の記事を復活させます。今だ所有している事実に「ガッツ」誌は感謝されたし。衝撃的な記事は48年の時を越えるか!?(2020年10月現在)
1972年5月15日に、沖縄は、米軍領から日本本土へ復帰します。
これまでのドル、セントの貨幣から円に変わりました。私が、中学1年生になった年でした。
ちなみに、私は、生まれた時から、お年玉は、1972年の 5月15日まで、ドル(dollar)、セント(cent)でしたから、円でお年玉を貰ったのは、翌年(1973年)のお正月、中学2年生からですね。
成毛滋(なるも.しげる)の体験的リズムマスター論
成毛 滋(なるも しげる、1947年1月29日ー2007年3月29日)東京都、ギタリスト、キーボーディスト
『成毛氏はドラマーの角田ヒロ氏と「ドクタ-.シーゲルとフライドエッグ」等を結成。当時若手の高中正義(現在ギター)にベースを担当させる。角田ヒロ氏の「メリージェーン」などのギターを後年録音、またマルチ.キーボーディストぶりを発揮し佐川急便などのCM音楽を作成。東京お茶の水の「石橋楽器」「ブリジストン」等が関係筋。早くから音楽界に見切りをつけビジネス界に転身』
*YouTube:成毛茂
Dr.Siegel Guitar Solo Collection
リズム、リズム感…., リズムがいい….などといった言葉がよく使われているのをきく。
日本人に<リズム音痴>からの脱出は可能か!(成毛滋1972年 )
しかし、こういう言葉の持つ意味をわかってる人がどれくらいいるのだろうか。
おそらく、ほとんどの人は訳もわからずに使っているのだと思う。
僕も、大学2年の時、あの天才ギタリスト、Iさんに会うまでは知らなかったことだ。
当時の僕は、アマチュアバンドでパーティーやコンサートなどに出演したり、いろいろなエレキギター合戦にかたっぱしから出場しては優勝し、賞金をかせぎまわったり、全国で個人技能賞まで取ったりして、かなり天狗になっていた頃であった。
コンテストあらしとしてその名を知られ、ゲストのプロのバンドにまで、恐れられるほどであった。
だから初めてIさんに紹介された時もどうせ大したことはないだろう…くらいに思っていた。
「ギターなんかやめろ」といわれて
Iさんと会うことになったのも、僕の友人がレコーディングすることになった。
たまたまバックバンドがいなかったので、臨時のメンバーを集めることになって、そこへ僕も呼ばれ、それで気楽に友人の家に行ったら、Iさんも来ていた….といったことからだ。
そこで友人は、僕を「アマチュア-日本一の成毛君です」といって紹介した。
Iさんは「フーン」とまるで興味のなさそうな顔で答え「ちょっと何か弾いてごらん」と言った。
この野郎、ちょっと驚かしてやろうと思い、ギターをアンプにつないでまずちょっとポローンとCのコードを弾いてみた。
すると突然Iさんは.,,,,,,,.「あ、おまえギターなんか止めろ!」と言ったかとおもうと、その場を立ち去ってしまった。
まだ何も弾いていないのにこんなバカな話はない。
頭へ来るというよりあっけにとられてしまった。
次の日、友人の家でIさんに「一体、どういうことなんですか!」と問いつめると、「おまえが今までやってきたことは、全てまちがいだ、いわばウソを覚えてきたようなものだ、だから もし おまえがギターをやっていきたいんだったらまず、今までやってきたことを全部忘れろ。そして正しい知識を1から勉強し直すんだ。
そうすればおまえでも、ギターを弾けるようになるかもしれない」と言われた。
まがりなりにも全国大会で日本一になった僕である。この言葉はきつかった。
しかし その場はIさんにすごい何かがあるような気がした。
いわば昔の剣豪がひと目見て『ムム!こやつできるな』と思ったような直感的なものを感じたのである。
しばらく考えて僕は言った。
「わかりました。全てをわすれますから1から教えてください。」
「よし!」その時のくやしさはなかったが同時に、何かを身につけられるような期待も湧いた。
日本の音楽にはリズムという考えがなかった
はじめ僕はベースをもたされた。
「いきなりギターでやってもわかりっこないからまずベースで練習しろ」と言われたのである。
何を弾かされたと思ったら「ド~ソソ~ 、」という単純なフレーズである。
これをゆっくり、くり返して弾いてみろと言う。
そこで弾いてみると「何だ!それは!リズムがまるでないじゃないか!」と怒鳴られた。
「おまえが弾いているのはメロディーだ。これはリズムのリフだぞ。それじゃあ民謡じゃないか!」と言う。
一体何のことだかさっぱりわからない。
困っていると「じゃあ それを2ビートで弾いてみろ」といわれた。
「はっ?」と聞き返すと、「次に4ビート、8ビートでその同じリフを弾いてみろ!」
といわれた。
ますます困ってしまった。何をやればいいんだか、さっぱりわからない。
するとIさんは、ベースをとり「見てろ!」と言ってそのリフを弾きはじめた。
「これが2ビートだ!」と言ってあのフレーズを引き続けている。
「次に、これが4ビートだ」というのだが弾いているフレーズはまったく同じでテンポも全く同じ。
どこがどうちがうのか。さっぱりわからない。
次に「これが8ビートだ!」と言ってIさんは弾いているのだが、やっぱりまったく同じである。
「わかったか?」と言われても全くわからない。
それからはもう地獄の毎日である。
Iさんも仕事があるのでそうしょちゅうは会えない。
僕のバンドも仕事をしていたので、葉山や軽い沢に行っていたがIさんに会える日は、どんな所からでも通った。
だんだんわかってきたことは音楽には3つの要素があるということである。
それは、1 メロディー(旋律)2 コード(和音)3リズム の3つである。
そしてこのリズムは、日本語にない。
なぜなら日本の音楽には(一部の地方の民謡を除いて)リズムがないからである。
和音もあまりなく、日本の音楽というのは主に
1 旋律(メロディー)
2 間(タイミング)の二つの要素から成り立っている。(もちろんいろんな説があるが、、、)
そして、この『 間 』というのは、外人には絶対に理解できないものである。
日本舞踊や歌舞伎などは、この『 間 』が大事なのだが、外人に教えても絶対に理解できないそうである。
よくある、イョ~ッ、…….ポン! (鼓, つづみ等の)というのを聞いて、外人は、「彼等は、どうやって、拍数を数えているのか?」などと質問して来る。
しかしこれは、拍数などというものでなく『イョ~』と言ってから全く感覚だけで、この辺だなと狙って『 ポん 』と打つ。
これが『 間 』であり、これは日本人独特のものである。
2ビート、4ビート、8ビートの違いをやっと会得
逆に日本人には、リズムに乗る…ということはできない。
Iさんが僕にいわんとしたことはこのことである。
即ち、いくら西洋楽器であるギターを持っていたところで、リズムがなかったら西洋音楽など弾けっこない。
だから民謡じゃないかと言ったのだ。
また、ギターは、メロディー楽器でもあるが、ベースは何よりもまず、リズム楽器であり、次に和音のバスであり、和音の組み方に重要な楽器であるが、そのどちらも日本人には理解できない。
従って、日本の楽器には西洋のベースに相当するものはない。
事実、太鼓や三味線、笛などはあっても、ベースは日本にはない。
従って、日本からは、ドラマーやギタリスト、ピアニストが生まれることはあっても、ベ-シストが出る可能性はゼロに等しい。
現在日本でベースが弾けるのは、僕が知っている限りではたった3人だけであり、それ以上にベースの弾ける人は知らない。
ベースは、それほど難しい楽器なのだ。
3ヶ月もすると僕は自分で弾けないながらもIさんが弾くのを見て「これは8ビート、これは2ビート」と言いあてられるようになると
「よし、これがわかるようになったらあとは自分で黒人の体の動きを見て勉強しろ」と言われ、Iさんとのリズム教室は終った。
それからは毎日、ディスコへ通い黒人の踊るところをジッと見ていた。
あんまり僕が踊らずに他人を見てばかりいるので追い出されそうになったことも何度かある。
それでも懲りずに通っていると、確かに彼等の踊りにはリズムがあるのがわかった。
日本人の常連やゴーゴーガールは、一見上手そうに見えるが、黒人に比べると、リズムにのっていないのがわかる。
特にうまいのと、下手なのを比べるとよくわかった。
なるほどあれが日本人と外人のちがいか….としみじみ感じ、自分のギターも黒人が聞くとあの日本人の踊りのようにみっともないんだろう….と思うと恥ずかしくてたまらなかった。
また、いろんなバンドを聞いたが、黒人バンドが一番リズムがよく白人バンドは多少落ちることもあるが、フィルピンバンドというのはデタラメであることもわかった。(デタラメといっても日本人よりは数段ましだが…)
そして一年もたつと多少なりとも自分でリズムを弾き分けられるようになった。
1年ぶりでIさんにあったら「よくやった、これでおまえは、リズムを弾けるうちで一番下手なミュージシャンの仲間に入れたぞ」と言われた。
どこまでも言葉きつい人だが、何しろ今までは、一番下手な奴以下だったのだから、いくら指が動いたところで、それは音楽でもなんでもなかったのだ。音楽の道のきびしさをイヤというほど知らされた。
クラプトンにびっくりアメリカへすっ飛んで行く
ところがそうなると今度は他のバンドを見ると、耐えられなくなって来た。
今までは気づかなかったのだが、なまじ自分ができるようくなってしまうと、もうそのリズムのない演奏などというのは聞いていられない。気分が悪くなってしまうのだ。
初めてIさんが僕の演奏を聞こうともしないで立ち去ったのがよくわかった。
全く日本人の演奏というのはメチャクチャでリズムも何もなく、バラバラなのだ。
しかも自分達は気づかない。
それを聞かされるのはよくツメで黒板をこすったり、フデ箱のフタで窓がラスをこする音を聞かされたようなもので耳をおさえて逃げ出したくなってしまう。
それ以後、僕は日本のバンドの演奏は絶対に聞かないようになった。
その後、大学4年の時だったと思うが、ある友人がアメリカから帰って来て、そいつがとって来たというテープを聞かせてくれた。
「こいつらが今一番人気があるんだよ」と言って、彼がテープをかけてくれたのだが、その時の驚いたこと。
「すごい!」なんて生やさしいものじゃない。
上手いのなんの…..もう話しにならなかった。
ベースもドラムもすごいけど、ギターの奴のすごいこと。
そのリズムの良さ。フレーズもサウンドも良かったが、何よりそのリズムのすばらしさ…..ビシーッと決まっていて、グングン引っ張っていく。全くケタがちがうのである。
これがクリームであり、曲は「クロスロード」だった。
僕は今までやって来たことが急にバカらしくなり、すぐにバンドを解散してアメリカへすっ飛んで行った。
その時は、もうクリームは解散してしまっていたが、セントルイスでブラインドフェイスを見ることができ、エリッククラプトンの素晴らしさにはもう涙が出そうだった。
エリックは、Iさんの教えてくれた8ビートをさらに進化させた16ビートをとっており、同時に体全体で大きな2ビートをとっていた。
これは初めて見るリズムだったので、ホテルへ帰ってさんざん鏡の前で練習したが、この時やっと、8ビートも16ビートも、根本的には、2ビートが大事のではないかということに気づいた。
その後、ジミヘン、フ-、エアプレイン等のステージのフィルムを見たが、いずれも良いバンドはクリームに負けず、リズムがよかった。
日本へ帰ってから、また1年半ほど僕は一人で毎日リズムの練習をしていた。
もう黒人バンドなどは見ず、アメリカで仕入れて来たレコードを聞いてリズムにのることを研究していたのである。
同時に、他のバンドの仲間に会うと、いちいち「リズムのノリ」の話しをもちかけてみたりしたのだが、みんな「そんなこと練習したって、どうせお客にはわかりっこないよ」といって相手にされなかった。
その頃、Iさんに会おうと思って探したのだが、なかなか見つからず、やっと居所をつきとめたら ノイローゼで入院しているということだった。
Iさんはリズム感もさることながら、音感もものすごく、ほぼ絶対音感に近い耳をもっていたため、毎日テレビやラジオから出て来る音楽を聞くと「ああ音程が狂っている!ああリズムがのっていない!和音が違う、チュ-ニングが合っていない、、、」などとすべてわかってしまい、ついにはノイローゼになってしまったのだ。
こうなるとあまり音感のいいのも考えものなのだが逆にいうと、そのくらい日本の音楽水準というのは低いのである。
幸か不幸か僕はIさんほど耳が良くはないが、それでもテレビやラジオで音楽は絶対聞かないし、第一持っていない。何よりつらいのは喫茶店やタクシーの中で歌謡曲をかけられることである。
ロックをやりたければ、日本から出て行くべきだ
最近は、訳のわからない字あまりソングを歌っている奴等がいるが、あれは極度のリズム音痴だからこそできる芸当である。
ちょっとでもリズム感がいいんだったらとうてい耐えられないだろう。
それを歌う方も、あ客の方も平気でやっているのだから。
いかに日本人はリズム音痴であるかということがわかる。
もし若い人で、これからロックをやろうと志す人がいたら、アメリカでもロンドンでもいいから外国へ行くことだ。
日本人にいたら、どうしても街を歩いていれば、どこかで日本人のリズム音痴音楽を聞いてしまう。
これは大変なマイナスだから、とにかく日本を出た方がよい。
まちがっても、日本のバンドなどは見ない事。
僕はIさんに会うと言う幸運があったけれども、だれでもいい先生に会えるとは限らない。
だから外国へ行って本物のステージを見る事だ。
日本とはちがって客もみんなリズム感がいいから手拍子などを打つと、日本のコンサートとは全くちがってのる。
お客も演奏もすべて日本とはちがうのだ。だから『8ビートピッキングだ』なんだと言ってみたところで最終的には『外国へ行くこと』それ以外に、勉強する手はないだろう。
「ロックをやろうという人は向こうへ行きなさい」
僕より若い人に、僕の言える唯一のアドヴァイスである。
1972年 音楽月刊誌「ガッツ」12月号P129~131より
あとがき(アメリカナイズと沖縄)
以上、この記事に出会った中学2年の少年は、居ても立ってもいられず、手紙を書き、成毛氏に教えを乞います。
なんと、成毛氏は、わざわざ返事をくれ2年近く文通してくれたといいます。
しかし、その後、少年は、ロックとお別れをし、ジャズの世界に飛び込み、いつしか疎遠となります。
この記事の普遍性は、今の時代も変わらず、洋楽の世界で、日本人でいることの存在意義はあるのか?、という日本人としてのアイデンティティーといった深い問題も現在は含んでいます。
ロックやジャズ、あるいはクラシック音楽などの日本化は、どこまで許されるのか?と言った問題です。
これまでも、米英国以外の国から世界的なロックバンドになったグループもありますが、それは、西洋圏の白人社会からで、それほどの違いはありません。
問題は、アジア系のロックバンドで、世界的なバンドとして西洋社会で成功するのか、というケースです。
もちろん、人種的な要素を盛り込んだ音楽も考えられますが、クラシック音楽では、それは許されません。
あくまでも西洋、白人社会が生み出した音楽です。
何の努力もなしに演奏すれば、誰でも”日本人らしい”ロック、ジャズ、クラシック音楽とはなります。
三味線ロックは、その象徴です。三味線でジャズを弾く人もいるでしょうし、ブルースも同様です。
西洋社会が、それをどう受け止めるか、という問題があるだけです。
落語でいえば、西洋人落語家が演じる落語ということになるでしょう。
江戸時代に、外人なまりの長屋の住人ばかりが登場するわけです。
これは、厳格な古典落語と言うよりは、創作落語の世界かもしれません。
創作落語としては、登場人物が、外国なまりの江戸っ子も許されるかもしれませんが、、、。
また、一概に「日本人」とは言っても、私のような「沖縄人」は、敗戦の1945年から本土復帰の1972年5月15日までは、制度的には、”日本人”ではありませんでした。もちろん国籍は日本人です。
しかし、使用する貨幣は、米国貨幣のドル、セントでしたし、米国領?ですから、車は右側通行。
だから、車のハンドルも本来、左側の座席が便利なのですが、国産車は、右側座席のハンドル。
また、本土への渡航には、外国への渡航と同じようにパスポートが必要でした。
そのためか、県民は、1945年~1972年までの27年間は、”昭和””という元号では一切、記憶せず、すべての出来事は、西暦でしか言えません。マスコミ報道も西暦を強調します。
私自身も、自分が生まれた元号、年号は、昭和34年と言えますが、1959年という西暦の方がしっくり来ます。
本土復帰の1972年が昭和47年!という事は、計算しないと言えません。
「沖縄にはすばらし音楽があるのに、なぜジャズを今さらやるんだ」と90年前後の日本は、エスニックブームまっさかりで、音楽市場として沖縄が成立することがわかると、何か罪悪感でもあったのかように、猫も杓子も沖縄、沖縄でした。
沖縄への関心は、身近な外国?としての快適なアジア旅行の一つだったのでしょう。オーストラリア産のオージービーフ(Aussie Beef)ステーキも安いですから。
(オージービーフが日本に輸入されるようになったのは、1991年頃ということですが、米国領?であった沖縄では、敗戦直後から県産の豚肉とともにオージービーフの牛肉文化が広まりました。ステーキは一般の人でも昼食で気軽に食べられる価格でした。ドルから円に変わった1972年当時でも、オージービーフは250gで千円以下、と言ったところです。1980年代まで、その価格は続いたと思います。)
また、ファースト・フード文化も日本本土より、かなり早い。(A&Wレストラン)
(”A&Wは「日本初のファストフードレストラン」とされる。A&Wの1号店である屋宜原店のオープンは1963年であり、マクドナルド(1971年)やケンタッキー・フライド・チキン(1970年)などの日本進出よりかなり早い。)
もしも、なぜ自国の音楽ではなく、洋楽なのか?の返答には「ここにないものだから」と答えます。
音楽は自分にとってそういうものです。
両親が洋楽を根っから好きだったら、たぶん民謡をやり出したでしょう。
親とは、家であり、沖縄であり、日本であり、アジアです。
しかし、「不良?」は外の世界にあこがれるものです。
成毛氏の記事は、今から48年近くも前の記事なので、晩年の成毛氏は多少考えに変化があったかもしれませんが、今となっては、2007年 3 月29日に亡くなった成毛氏に尋ねることはできません。
しかしこの記事で少年の生き方が変わったことは確かです。若さです。今読んでもわくわくする内容です。あの時の中学生が私です。 敬具。
PS:2000年にこの記事を書いて、かつての筆者のホームページ「ジャズは、なぜ死んだか?」に掲載しました。
2020年、1月6日、私と同い年の東京出身のジャズギタリストの山口友生さんが沖縄旅行した際に初対面。
山口氏も私と同じ年に、この記事に出会い、襲撃を受けた、といいます。
13歳、14歳だった少年二人は、60歳となり、ようやく会う事ができたわけですが、その後、調べて見ると成毛氏は、私たちと同じ干支のいのしし年で、60歳で亡くなっていました、、、、。
一回り上のいのしし年ですから、当時、中学2年生の14歳の少年に、26歳の成毛氏が文通してくれたわけです。
こんな熱き青年?いませんよねぇ。
最近、ひょっとしたら、1972年に本土復帰した沖縄という島の少年、ということで、何か力になりたい、という思いがあったのではないか?と思ったりします。
今となっては、真実を知ることはできませんが、今年、8月以降からは、60歳で亡くなった成毛氏の年齢を、私は1つ越えてしまいましたが、、、。
こうして、ギタリストを職業とする私になるきっかけを与えてくれた成毛氏へは会う事はできませんでしたが、十分な感謝も伝えられなかった、ということで、罪悪感もあります。こうした記事で、多少なりとも恩返しできたら、とは思います。
合掌
後記:「ジャズはなぜ死んだか?」のホームページ掲載の14年後の2014年2月7日 「日本人のためのリズム感トレーニング理論」発売!!
#著者解説シリーズ8 #
「日本人のためのリズム感トレーニング理論」
リズムは語るものじゃない、やってみるもの?
何十年も毎日ゴキゲンなミュージシャンばかり聴いて来たはずなのに、#ハネてる んじゃないの!?
#ロボットリズム じゃないか!聴いてもダメ、見せてもだめなら #口伝 しかありません。
友寄隆哉Twitterより
PS:
成毛氏は、私のこの著書にもありますが、日本人が唯一、西洋人に対抗できるための手段、ウルトラCDE,,,となる”超絶技巧”を目指したと思います。当時、そこに気づいていた人は、あのスポーツ本の著者しかいません。
詳しくは、私の本を読んで見て下さい。
Twitterでも触れたように、このリズムの問題は、CDやDVDやコンサートをいくら見ても、わかりません。
成毛氏が、Iさんから学んだように、芸事は、師匠からのダメ出し!でしかマスターできません。
2020年10月未明